主治医吸い

 

僕に会って元気になってね、行くんだね。

 

わたしは、そうです。「先生を吸って、役所に行くんです」と答えた。

僕の診察にそれほどの価値があるとは思えないけど、とはよくおっしゃるものの。わたくしめにとっては偉大なる影響力を持していると理解しておられるわたしの主治医は、このように自意識過剰な発言をたびたびにするのですが、これを聞きながら。ああ、わたしの言葉尻でわたしがどれほど先生のことを大事に感じているかが伝わっているんだなあ、とわたしも嬉しくなる。

本当は昨日、区役所に行って、先生が診断書を書いてくだすった精神障害福祉手帳を受け取りに行かねばと思っていた。しかし、一昨日の晩に具合が悪く、頓服を二本飲んでしまったんで、副作用で身体がぐったりと重くなってしまい、つらくて動けなくなっていた。なので、今日の夕方、受診の時にどうせ、最低限の身なりに整えるから。そのついでに役所までえっちらおっちら出向こうではないかと後回しにした。

 

役所に行くと思ったら、今日はすごく早くから支度に動けて、服をよそ行き(通院の時はあまり華美になりすぎないようにわざわざ、無い質素な服装で出かける)のワンピースにして、顔にも。ひどい時は本当にスッピン、良くても眉しか描かないのに。今日は申し訳程度にファンデーションも塗って、申し訳程度にアイシャドウもほどこした。髪も割と丁寧に跳ねどもを落ち着かせて。ここ最近にしては随分マシな身なりになった。ああ、昨年の夏くらいまでは。愛しの主治医に会うのだと思えばばっちり化粧をキメていたものの。(何故なら通院日が一週間で唯一の『外出』のはだからである)最近はもはや、まだ全身パジャマじゃ無いだけよくやってるといったところだ。たまに、上だけパジャマのスウェット下だけスキニーに履き替えるなんてことはあるけど。

 

格好を整えたら、気分が良くて、わたしはその後ウキウキではじめての障害者手帳を手にしたのであった。

三級が獲得できるように、診断書を書いてくれた主治医への患者を噛み締めていた。

 

 

 

診察室でも、診断書の話になった。

病名をアイデンティティにする患者さんがおられるという話題になり「わたしもそうかもしれません」「(前回)入院した時傷病名が『うつ病(前々回はこれだった)』じゃなくなってて、わたしのうつ病どこいった?!ってなりましたもん。境界性パーソナリティ障害だったわけですが……」と言ったら、先生は「うつ病でも間違いでは無いんだけどね」と言ってくださった。あら、そうなの。もうわたしのうつ病は、境界性パーソナリティ障害からくる抑うつに飲み込まれて吸収されてしまったのかと思ったわ。鬱の頻度と、深さがちと激しいだけで。

そこでわたしが「そういえば、うつ病と境界性、どちらで診断書書いてくださったんですか?」とお尋ねしたのであった。

すると先生は「写真が不安障害だったから、『不安障害』で書いてるよお」と答えた。え、不安障害という曖昧な病名で通るの?と思ったが。乗り物にならない家から出られない、という人たちも不安障害と一括りにされているから、通らんこともない病名らしい。前に手帳が欲しいと相談した時に、主治医は「20代のうつ病で通った人、あんまりいないよ」と少々参って見えた。だから、どういうギミックを使ってわたしを通したのか、技量を知りたかったというわけだ。

「そのかわり、ここにいっぱい付けさせてもらったよ。依存してます、とかね。薬に。強度の不安がありますとか」と、補足でわたしの症状を具体的に示してくださったみたいだ。何度も「見たいです、いやでも見ていいものなのかなあ」と呟いてアピールしたけど、診断書の控えをわざわざこちらに見えるように開示してくださることはなかった。まあこれは、わたしの興味が。先生から見たらわたしはどういう状態にあるのかという見立てを知りたかったから自分の目で記録を確かめて見たかったわけだけれども。

 

 

 

以前、このブログに"わたしのおかげで成長できたと、謎に満ちた言葉を主治医にかけられた。その真意とは?"というような内容の記事を書いたと思うが、何となくあの後自分で噛み砕きつつわかってきた。

たぶん、主治医は「市販薬中毒者の知識を得た」というメッセージを「第3病棟さんのおかげで成長できた」と表現したのだな、と思った。自己評価が低いか?認知の歪みだと思うか?

 

いつものように、今日も「お薬(たくさん)飲んだり自傷したりはしたかな?」と問われたので。「はい、どちらもすこし」と答えた。

いつ、何をどれくらいと訊かれたのでメジコンを25錠飲んだと言いながらカーディガンの袖を捲った。

さしたら医者はおやおや、といった感じで興味深そうにわたしの腕をいつもより前のめりになって覗き込んできた。

 

先に、薬の話をしよう。

主治医はカルテに、おそらくわたしのOD常敗を記録しつつ「うん、ブロンとメジコンは二大巨塔だからね」と言った。

そうかなぁ。時代なのかなあ。

市販薬OD界隈で横行している薬といえばブロンと、レスタミンだというのがわたしの印象なわけだけど。その後に続くのも金パブ、コンタックのイメージで、メジコンが名を轟かせているのは最近に思う。それこそDXM=コンタックを飲め! という印象があるのはわたしだけではないはずだ。

いやしかし、この主治医の発言こそ、彼が言っていた『成長』なのだろうな。一年前、わたしがブロンの名を出したとき、主治医はそれは何かと困惑し、市販薬はわからないんだ、と言っていた。どうやらあの後、ご自身でお調べになり、他の先生方と情報共有をなさっていたり、我々のやうな人間の「ブロンはふわふわ、メジコンはたのしい」という誰かの表現をわたしに披露してくれたりした。(厳密にいえばブロンはまったり、メジコンはイマジネーション世界にトリップという感じだが(あくまでわたしの場合の感想を述べエフェドリンでシャキッともするらしいですけどね、と先生もご承知だろうが補足しておいた)

こういう知識を得てしまったことを、先生は成長した、いや。わたしと関わったことで成長せざるを得なかったと言うべきか。じじばばばかりが訪れるこの病院にいれば、あまり遭遇しないであろう問題にぶちあたってしまったというわけだ。

 

 

 

次にリストカットである。

わたしは普段もリストカットをしていて、およそ毎週医者に腕の傷をチェックされているのだが、最近やっとこれがわたしなりの注意獲得行動の意味も含んでいたということに思い当たったらしい。これも他の先輩医師にわたしのことをご相談なさったらしく、この先輩が導き出したのが「その人、先生(わたしの主治医)との診察時間を伸ばしたくて切ってきてるんじゃない?」「先生のために自傷しなきゃいけないなんて、その患者さんがかわいそうでしょ!」という答えだったらしく。わたしの腕を鑑賞し終わった先生は「まさか……話題作りで切ってきてないよね?」と冗談を飛ばしたりもしていた。

もちろん今回のこれは先生の気を引くためだけを狙って切ったわけではない。なんなら先生のことなど毛頭頭になかった。

気分が昂ってしまって自殺や自傷に走りたくなったとき、頓服のリスパダールを飲むことにしているのだが、それを許されている量、0.5ミリを二本(主治医はリスパダールを外来で出すのがお嫌いらしく、1mgだと三本しかくださらないので、わたしの癇癪の頻度が追いつかないのだ)を飲んでも苦しみが止まらず、もうこれは切って紛らわすしかない、と思ったために切ったのである。

本当はより深く。より痛く。血が傷から溢れ出てツーッと腕をたたってぽたぽた垂れるぐらいまで。剃刀に力を込めながら、肉そのものに刃を入れるかんじでグググ……と切るのがわたしの好みである。わたしは別に、自分に対する生存確認でも安心感を得るために血が見たいタイプの人間でもないのだが。ただただ昂りを痛みに代えて鎮圧させたいという気持ちが強いのである。

しかし、それを抑えようと、浅く痛くなく血も傷口付近に馴染む程度。それをシャッシャッシャッと勢いに任せて軽い力で切ったのだが、主治医はいつもよりわたしの腕の傷を前のめりになって眺めて、これは何事かと言った様子で覗き込んできた。

視覚的に、脂肪が見えるまで深く切った時よりも。赤くて浅い傷が一部分にびっしりの方が!ドッと飛び込んできたんだろうな。先生はすぐにいつ、どうして、何回、そして何本切ったのかと尋ねてきた。

気持ちに任せたかったので何本切ったかなんて数えちゃいない。こんなに、痛みも薄くて手応えのない傷の本数なんかに興味はなかった。回数でいえば、「切ろう」と思ったのは二度だった。そのうち一度はいつもの通りに、一本にグッと力を込めた。これもさほど、深くは刃が入らなかったんだけど。

思わぬところで主治医の関心を引いてしまった。主治医はわたしに心底かわいそうに、という顔を向けた。マニュアル的対応で捻り出された態度なのか、本心なのかはんからない。ええっ、という驚きと痛そう痛かったね、という憐れみと。何があったのという危機感と。いつもと、だいぶ違った反応を見せた主治医観察記をここに残しておこう。

 

一通りわたしから事情を聞き出した主治医は言った。「今度から数えよう」

「今までこうしてあげたことなかったね。頑張ってるから、数えていこうね」と言われた。たしかに?これでもODや自傷は我慢して抑えて、コントロールしようという努力の気持ちは抱いている。

先生の期待通りに、データが減っていってくれると。たぶん、わたしも嬉しい。

 

 

 

わたしの様子を見て先生は「入院する?」と口走った。

冗談でこのような言葉は使わないとは思う。きっと本当に入院させたいんだ。わたしはそれをジョークで茶化して返すんだけどね。「もういやです」ってね。

まだ退院して一ヶ月ちょっとしか経ってないだろ、ごめんだよ。そんなに、ひどい自覚もないのに。

主治医も「今すぐ命の危険があるわけじゃないけどね」とフォローを入れてきた。

「でも僕木曜日しかいないからなあ」そうである。主治医が週に一度しか出勤してこないのに、病院に入院させられる意味あるか?そうですよ、先生今こっちにいないのに。とわたしは突っ込んだ。

「先生の行かれてる新しい病院は毎日お風呂入れますか?」

ガチで、入院生活で一番つらかったことは週に二回しか風呂に入れてもらえないこと。病室の床は平日は毎日磨かれるのに。わたしたちは病室の床より不衛生なのである。はじめての入院の時から、風呂に入れない生活だけは嫌だと、わたしは延々と駄々をこねているので、もはやわたしの伝統芸能になりつつある。先生は分からないと言った。まだ向こうでは新任であるから、患者さんの生活ルーティンがこちらとどう違うか、というところまでは存じていないようだ。それはそう。

「お風呂に毎日入れるかどうかと、スマホ触れるかどうか訊いといてください。そして、先生が何度会いにきてくださるかなよりますよね」

何度会いにくるかとかいう問題じゃないよね。病室に主治医を備え付けて欲しいレベルで入院生活って暇だし、退屈だし、わたしは主治医がLOVE。

主治医は唸りながら「二回だねえ。僕こっちで当直してるから、向こうでは泊まり仕事してないんだよね」

「じゃあ、木曜日だけこっちにわたしも来ます!」

向こうの病院もコロナで外出禁止なのはこっちと変わらないらしい。実現しない願い。そんな馬鹿なというぶっ飛びわがまま発言を連発するわたし。つまりね、それだけ入院するメリットが分からないってこと。参ってもないってこと。前回みたいに、愛しの主治医が異動するかも、さようならするかも、という不安で調子を崩してガチで弱っている時に入院の機会があれば、その話に乗るかもしれないけどさ。

「そんとうは言葉で表現しなきゃいけないところが行動になってる。それが親のいないところで行われてるってことは二重で表現できていないよね」

つまり、先生はわたしと家庭を切り離したいんだな、とここでやっと分かった。

嫌だよ、わたしは病院を住処にしたくないんだよ。JK患者みたく入退院するたびに永遠にいるような人にもなりたくないし、前回の入院で出会ったハタチの女の子だってもう一年弱いるって言ってた。家じゃん。それは嫌だ。楽園みたいな病院ならいいけど、こんな廃墟みたいな汚い風呂にも入れてもらえない携帯もまともに触らせてもらえない娯楽もなくて気持ち悪いストーカー患者に不快な思いをさせられ続けなければならない環境にいる方が余計に病気になっちまうんだよ。入院は嫌でも自分と向き合わなければならないんだ。ただでさえ自分を見つめるのが嫌で、直視できなくて逃避しまくってるのにそんな生活に耐えられるかってんだ。いくら保護者たちのプレッシャーにさらされようとも。家で寝てた方がまだマシだってのが、二度の経験を経て確信した答えだ。

 

入院を進めてきつつも主治医には、また今週も「今の仕事を頑張っている姿が見たい」と言われた。

「聖母、第3病棟としてね」

 

 

 

 

聖母の名は禁句だと前にも言ったろ!

うちの聖母は聖母じゃあないんだよ。