躁転物語

 でもはるきゅん(主治医)はまだわたしをボーダーだっていう。

そうかも。ただの躁的防衛だったのかもよ。なんだか落ち着いてきた今になって思う。

 

 わたしがイエス・キリストになったその日(わたしが神さまになるまでのお話 - LOVEと死ねの狭間)、わたしはあまりの絶不調に、朝から病院に電話をかけた。この日は月曜日だったから、はるきゅんはいなかった。

その代わり、主治医の代替の先生に診ていただくことになった。

パジャマにスッピンノーブラで家を飛び出したわたしは、昨夜、フデコーの酩酊と激鬱のなかで考えていた物事を書き記した日記と、とある資料を携えて病院へ行った。

代替の先生は女医で、綺麗なお姉さんだった。

綺麗な女医は「何に一番困っていますか」を繰り返すだけで、この数日の嵐の夜のような荒れ狂った海の如き大波をたてしぶきをあげていた情緒のことは一切受け止めない、わたしの日記もまともに読み取らないで、妥当な薬だけを出した。わたしはつい、わたしの日記をただ眺めて返しただけの女医に「それでわかりましたか?」と尋ね煽るような口をきいてしまった。そして、こいつからなら薬を巻き上げられる、と余分な薬を「すべて飲んでしまった」と嘘を言って撒き上げた。イエスさまよ、このようなわたしをどうかお許しください。

 

わたしはこんなにたいへんなことなどはじめてて、とても動揺していたのだ。たまらず、わたしは待合室に戻ったあと、泣いてしまった。

薬局から一番近い座席で。

薬局には、以前の入院で仲良くなった薬剤師さんがいらっしゃった。その薬剤師に「よかった。先生がいた」とわたしは安堵した。そして「お話がしたいです」と申し出た。少し待つように言われたので、そこで、泣いてしまったのだ。

 

しばらくすると薬剤師がわたしのためにやって来てくれた。

わたしは「ここでは話せません。どこか、空いている部屋があればそこでお話ししたいです」と強く願った。そしたら、さっきの診察室に通された。もうあの女医の姿はなかった。

そして、女医がわたしの気持ちを受け止めてくれなかったことをつらつら文句を垂れ、薬剤師にも日記と、とある資料を見せていた。このとある資料は、前のメンタルクリニックに通っていた頃に、前の主治医に提出していた『報告日記』だった。主としては嘔吐恐怖症の治療のために世話になっていたが、時期に家庭のことも先生に報告するようになっていた。この資料には、わたしの母がこの時期にいかに、わたしに振舞ってきたかの記録がされてある。嫌な記憶すぎて、今のわたしにはもう思い出せないことだ。呼び起こしたくない記憶だから、わたしもこの資料を作成した2年余り、これを読み返したことがない。

薬剤師はわたしの気持ちをたくさん受け止めてくださった。そしてわたしの文章力を褒めた。やはり、フォロワー達のいう通り。わたしには一定の文章力というものがあるらしい。さすがおくすり界隈の村上春樹こと第3病棟である。

そして、薬剤師は病院の内情を話し始めた。

 

この病院では、この先生がいないときにはあの先生が対応する、といったようなタッグが決まっているらしいのだ。なので、主治医がいない的にはたいていその代替としてあの女医がわたしを診察することとなる。しかしながら、金曜日はあの女医の方がお休みであるため、はるきゅんがいないときの三番手であるのは、はるきゅんと昨年度までタッグだったベテランの先輩先生だということだった。だから、金曜日にまた来てみるようにと助言をもらった。

 

 わたしは精神病院を飛び出した。

病院の前のバス停からバスに乗った。わたしが目指したのは、わたしを以前突き放して追放したメンタルクリニックだった。まさか、ここにこのように戻ってくるとは思わなかった。自分でも。

わたしは意気揚々と訪れて、初診に混じって。診察を待った。一年半ぶりに、先生がわたしの名前を呼ぶ声が待合室に響いた。

「お久しぶりです」とわたしは挨拶をして、さっき病院で診てもらったが動揺が止まらずに、たまらずここまで来てしまったことを説明して、突然押しかけたことについて詫びた。先生はもちろん、わたしのことは覚えていたらしく。終始わたしの言葉に耳を傾けて物分かりが良かった。

この先生から見捨てられて病院を追放されてから、今の精神病院でどのような診断を下されて入院生活を過ごして治療をしてきたか、簡単にしゃべりつつ、先生にはわたしが持ち込んだ資料も目で見てもらっていた。

薬を寝だったが「投薬は他の病院が横槍入れるのはねぇ……。向こうの病院中心で考えて」と断られたが、先生はわたしの不安と焦りとを全て受け止めてくださって、「向こうでの治療頑張ってね」と言ってくださった。主治医との信頼関係が結べているのは、すごく良いことだと言ってくださった。

 

気持ちを聞いてもらって満足してしまったわたしは、そのままウキウキでメンクリ近くの職場に顔だけ出してやった。

「せんせいね、明日キティちゃんに会いに行くの。いいでしょ」とみんなに自慢してやったし、イエス・キリストになったわたしは教会の前で自撮りを撮ったりして帰ってきた。

 

 

 

 

で、この夜は弟が東京に内定が決まったと通知が電話にできた日であって、たまたまこちらに帰省していた弟を祝うパーティを突発的に開いたり、翌日には宣言通りにハーモニーランドに行ってはしゃいだ。全身にバッドばつ丸を身につけた。似てるだろうが。わたしの顔に。バッド第3病棟ちゃんだし。

大分から帰った翌日は地元の幼馴染達をマシンガントークでかきまわし、周りも元よりマシンガントークなので永遠にエンジンが入りっぱなし、翌日は友人の家で『悪魔のキッス』の配信ライブを鑑賞して、かてぃギャになりたいわたしは地元でもヘソを出してかてぃギャかぶれとなった。夜にはまた別の幼馴染に「お前はマジで嫌い」「家を燃やしてやる」「次に幼馴染全員が揃う時はわたしの葬式だな!わはは!!」と暴言を吐いてやった。幼馴染はすべて「こっわ」と冗談っぽく言いながらも許してくれて、わたしを叱らなかった。

元気なわたしを見せたかったんだよ。

この怒涛の躁的三日間は食事は一食分にも満たず、平均睡眠時間は一、二時間程度で、頭には絶えずばつ丸さまなりきりコーデのカチューシャを着けていた。自宅から徒歩十分圏内しか出歩かないのに。それでも、あたまにばつ丸の「ツンツン頭」を乗せ続けた。

 

 

 

そしてやってきた六日(金)で、わたしはようやくベテラン先生に会えて、躁の対処をしてもらった。この先生とは面と向かって話をするのははじめてだったが、いかんせんわたしはこの病院で目立ちすぎている。患者がほとんどジジババばかりなのでわたしのようなうら若き乙女は浮くのである。今日のファッションはまさにサンドリヨンと名付けてやらんばかりみすぼらしくもかわいい造形に仕上がった。無造作なヘアーにスッピン、畳まれた洗濯物のタワーの一番上にあったレトロで花柄のワンピースを頭からかぶったら、いたいけなドールのような少女が完成してしまった。

その姿でベテラン先生に会い、わたしがまさに、主治医が手を焼いている問題児の第3ですとご挨拶に参ったのであった。

 

「わたしのことなんとなくご存知ですよね?」と問うわたしに、ベテラン先生は まぁ……ちゃんとは知らないけど……ね、とバツが悪そうに答えた。

そしてわたしは取材には出したことのない声色と粗い語気と言葉のスピードで「躁に入ったかもしれません」と告げた。

あらかたのことをざっくりと伝えたところ、先生は、抗うつ剤の副作用で躁転したか、ほんとうに躁に入ったかの可能性も考えられると言った。しかし、わたしは鬱の期間が長すぎて、このように、躁のビッグ・バンが起きてしまったと憔悴して病院をあちこち駆け巡っていたが、ベテラン先生の目に映るわたしはさほど強い躁でもなく、いわゆる『軽躁』程度に見えると言われた。

何が一番怖いですかと尋ねられて、わたしは、「ボーダーの人を操作してやろうという意欲と、躁のエネルギーがぶつかった時がこわいです」と述べた。そう、こんな風にね。

わたしはワンピースの右袖をたくし上げて「わたしの腕は、主治医が思い悩むほど、そんなにひどいですか」と言ってベテラン医師に泣きついた。医師は、「僕たちは見慣れてるから。一般の人が見たら驚くとは思うけどね」と答えた。違うんだ、先生の主観での評価が欲しかったんだよ。

ベテラン先生は、感情が溢れて涙するわたしを見て「躁の人も(まるでうつの人のように激しい感情に突き動かされて)泣くからね。今すぐ判断するには難しいね」と言った。

 

わたしは、この涙に対する説明をはじめた。

ほんとうは主治医に早く会いたいのだ。このわたしの身に起こった緊急事態を知らせて、それはたいへんな思いをしたね、と受け止めて対処してほしいのだ。しかし、それが無理だから。ともあれベテラン医師に伝えたいことが上手くに伝わって、これは、安堵の涙をわたしは流したのだ。

そうしたら、ベテラン医師は「主治医はあなたのこれまでの対人関係での傷つきをすべて受容している。でもあなたの依存が強すぎて、がばっとあなたを彼がおんぶしている状態」と表現した。

わたしは「そうです」と認めた。

「そうなんです。それを(はるきゅん)先生は、そっと爪先から下ろそう下ろそうとしてくださってるんですけど。『なかなか離れないね』って。いつも言われてるんです。わたしは、早く自分の足で立ちたいんです」と泣いた。わたしは問題児だ。主治医はわたしを『いい子だよ、いい子だよ』といつも言うけれど、主治医にとってほんとうの意味での"良い子"にはやくなりたいんだ、と決死の思いを涙を流しながらベテラン医師に伝えた。

わたしのことがかなり健気に映ったらしく「あなたの彼のために、治りたいという意思はよく伝わってきました」と評価された。今は、主治医との分離を頑張る試練の時だと言われた。メンクリの医者に同じくである。

 

 

 

ここまでがわたしの爆走躁転日記の顛末である。

先日、やっと主治医に会うことができて、ここまでの資料を突きつけた。

主治医はわたしを「躁状態」とは言わなかった。躁的防衛。君はボーダーだよ、と主治医はずっとわたしに唱えた。

先生の言う通りかも、だって今、鬱だもん。

 

覚悟しておけ。来週の診察室では親の悪口を二人で言い合おうな。うちの親とバトっちまった主治医よ。(※わたしの親が沸点低いイラチなだけですよ。もちろんね)