「そう思えたら簡単ですよ!」って言いたいでしょ、と言われる。さすがだね

 

人間(わたしを含む)には等しく価値があるんだ。

理屈では分かっていても、そうは思えない。

感情がついていかないのだ。

 

主治医は、未だわたしの主治医である。が、本拠地はわたしの通うこの病院ではない。

隣県の精神病院に所属しておられるのだ。

週に一度だけこちらの病院に来られて、当直明けにはそのまま隣県の病院へ帰って行き朝からお勤めになる。

そこで新しい患者さんとの出会いが、もう始まっておられる様子であった。

 

新病院のHPを見ると、『思春期・青年期』の患者を集中的に診ているのか?という印象を抱いていたが、どうもそうでもないらしい。

なんだか、わたしの主治医が抱えている患者は若い方が多いなあ、という漠然としたイメージはこちらの病院に長く勤めておられるから、というのもあってであろう。物腰柔らかく優しいので、若い患者が割り当てられやすいのかもしれない、と病棟で他の医者が診ている、歳の高い患者さんが言っていた言葉を反芻する。

 

主治医は、「第3さんに会いたかったよ」と言ってくださった。

そして、新しい病院では、わたしの父親ほどの年頃のおじさんを診ていて。そんな時、あー、早くわたしに会いたいな、と思ってくださるそうだ。

 

おじさん患者の立場からすると。かつてのわたしとJKのような関係にある。わたしの診察時間なのに主治医の頭の中はJK患者でいっぱいで、そいつの話題を毎度の診察で出してくる、それが苦しい、といった経験をわたしもした。

おじさんからするととんでもないことであろう。

が、わたしは、こうして思い起こしてくれることが嬉しい、と感じてしまった。

 

「第3さんを診ていて、僕自身が成長できたな、って思う」先生はそうおっしゃった。

ええ?

「第3さんの名前は出してないけどね。他の先生と第3さんのことを話してたんだよ。そしたらね——」

わたしのなにをどう、どこまで話したのかはわからない。が、その、目上の先生はわたしの主治医の話を聞いて、ずばり『ODやリストカットをすることで診察時間を延ばそうとしているのでは』と言ったらしい。

「その発想はなかった、と思ってね」と主治医は言った。

わたしは、上司の先生のこの考察は、実に的を得ているなと思った。次に主治医の異動騒動が起きたら、この先生に代わってもいい、という冗談を言ってやろうかと思ったくらいだ。

まったくもってその通りである。先生がどんな顔をするだろうか、と良くも悪くも頭を掠める。そして、切る。

わたしは「まあ動機は(主治医とは)別にありますけどね。たしかに、その先に、診察のことを考えたりします」と答えた。

主治医は「僕の診察にそんなに魅力があるとは思ってなかったから……」と言う。

だから、この考えに至らなかった。

わたしが自傷を起こすのは主治医の気を引きたいから。というのもこれまた一理ある。そんなことは自分の中でもう、導き出されている答えであったし、前回の入院をする前。主治医に、自身が異動すると告げられた直後に、頭の中を巡った考えを泣きながらお伝えしたことがあったが。その時にも『具合が良くなるのが怖かった』『一種の"注意獲得行動"のようなものを犯していた』と述べたはずであったが。心理学というよりも幼児教育の用語なので、うまく伝わらなかったか。

 

「だから、価値がないことはないんだよ」今日の診察を、そう先生は締めくくった。

わたしとの関わりの中で、主治医は何を身につけて何を学んだというのだろうか。わたしという存在を診たことによって、自分自身の業になったと先生は言ってくださる。それは、悪い意味でか?

わたしの頭の中に、一人の6歳児の顔が浮かんだ。もう彼は7歳になっているけど。わたしと出会った当時は6歳だったのだ。

彼はわたしが担任をしている間にADHDの診断を受けた。軽度ではない。他の障がい児との出会いは幾多もあったが、彼はそう一筋縄ではいかなかった。彼からは一時も目を離すことができず、必ず担任のうちのひとりがつきっきりにならなければいけなかった。とはいえ、わたしも彼のことは愛していた。たくさん愛を注いだ。大切な子どもだった。

「価値のない人間はいないと思うし」主治医がそう言うと、わたしの頭の中で7歳の彼が煌々とした笑顔を浮かべた。

それってつまり、わたしは問題児ってこと?

 

問いたかったけど、喉元まできて飲み込んでしまった。

それがわたしってやつ。

「へへへ」と笑ってやり過ごすことしかできない。