自撮り上げるのに……?顔面コンプの話

 昨日の夜中、恋人の前で大泣きしてしまった。自分の容姿に自信が持てないからである。自分と他者とを比較してしまった。たまたま、話の流れで話題に上がった女の子がいた。あの子はいいな、顔もかわいくて、それを周りからもしっかり評価されて、才能もあって。それに比べてわたしといえば、周りの人に容姿を褒められることはあっても、ただそれだけ。SNSでのわずかなフォロワーのぬくぬくした狭い世界で、すこしチヤホヤされるだけ。しくしくと声を上げて泣いてしまった。泣いている間に、気がついたら寝てしまっていた。

せっかく美容院に行ってかわいくしてもらったのに。今日のわたしはかわいいんだって、うきうきで帰ってきたつもりだったのに。

 

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 目が覚めて昨日の通話で泣いてしまったことを思い出した。自己嫌悪に陥った。夜分の通話ははるきゅんの命令で禁止されている。しかしそれをこっそり行っている。親にバレぬように小声で、息を殺して。そんな恋人との大切な時間を泣いて潰しちまった。

 

 昨日の涙は、そもそも話題に上がった女の子への憧れと嫉妬に近いものがあった。一時期片思いフォローをして、10年くらいはぼんやり彼女のことを見ていた時期があった。わたしは彼女のことが好きで、フォローしていた。

 

 しかし、自分の容姿に自信が持てないことへの根底に、中学時代の記憶があったことをふと思い出したのである。

わたしの中学時代はまさに暗黒時代であった。

わたしの抑うつは小学校六年生あたりから始まった。両親の不仲が加速したのである。小学校高学年になったあたりから、両親が家庭内でよく喧嘩をして話し合いをしていた。そしてやがて、二人は口を利かなくなり、母は自宅ではいつも機嫌が悪く、わたしの父親を拒絶するような態度を取り始めた頃。そして中学生になり、学内カーストという壁にぶち当たった。わたしは絶望的に運動神経が悪かったため、美術部に入部した。あとはお察しである。中学一年生の頃は、まだ『リストカット』と言う概念を知らなくて。頭のあまり良くなかったわたしは、テストの点数が悪いと自己嫌悪に陥って指の皮を引っ掻いて剥いて、自傷を行っていた。わたしはクラスに友だちがいなかったため、教室内でずっと無口でいたら、彫りがやけに深い顔立ちのせいもあるのだろう。ハーフに間違えられ、クラスメイトから「日本語、話せる?」と声をかけられるほどにわたしは人と話せない学生時代を過ごしていた。

 

 そして迎えた中学二年生。わたしは晴れて幼馴染のSちゃんと同じクラスになった。Sちゃんはほんとうにすごい。驚くなかれ、わたしの顔面を褒めはやすフォロワーたちよ。わたしがいままで出会ってきた女の中で一番顔がかわいい。わたしの100倍もかわいいのである。男子は誰もが彼女を高嶺の花だと夢見た。しかしかわいいだけに止まらない。勉強ができて学年で一桁はザラ、運動神経も抜群でバレエを舞い、バク転をしていた姿が懐かしい。溌剌としていて明るい性格で友だちもたくさんいて、彼女は人気者だった。いっしょにいて楽しい。非の打ち所がない人間とはまさに彼女のことである。

彼女は学校で太陽のように輝いていた。

しかし、その隣にいた、勉強もできない運動は絶望的。顔も中途半端なわたしは。彼女の陰になったような気分だった。彼女と過ごす時間は楽しい。しかし、強烈な劣等感を抱かずにはいられなかった。

Sちゃんは先生たちからも一目置かれていた。担任は生徒会に入っているSちゃんにデレデレで、贔屓される様をいつも隣で見ていたわたしは、常に病んでいた。

今は地元を離れて東京の大学に通い、そのまま東京で就職をしたSちゃんとは、年に数回しか会えない。うちらの友情は、あの中学の時の二年四組を共に過ごした一年間だけでは覆らないし、なんなら忘れかけていたけど。当時のわたしは、いつも胸に翳りを抱えて毎日、Sちゃんの隣で笑っていた。なんでもできてみんなからの称賛を浴びているSちゃんを見ていると、わたしは空気にでもなったような、透明人間になったような、そんな心地だった。わたしの居場所は二年四組にはない。ここにはない、どこにもない。と、いつもいつも思っていた。

 

 わたしに強烈なコンプレックスを植え付けたのはSちゃんと過ごした二年四組の時間だけではない。

わたしのそばには、さすがにSちゃんには劣るが、もう一人容姿端麗の者がいた。それは、母親である。

わたしの顔を称賛してくれる者なら容易に想像ができるかもしれないが、わたしの母親はまさにその一言で形容できるほど『美人』なのである。とはいえ、わたしは母親似ではない。かといって父親にも似ていないが。

母親はぱっちりとしてキリッと、そして凛とした派手な目元に高くて綺麗な鼻を持ち、唇も良い塩梅にぷっくりと分厚い。もうすぐ50歳になるが、一緒にいると姉妹に間違えられる。街に出たり、入院している病棟でも母はわたしの姉に間違えられた。誰に紹介しても皆がわたしの母に「とても美人」と言う。高校時代は、同級生にわたしの母のファンが(もちろん女の子だけど)湧いたほど。そんな母親の隣にいたら……。

ミドリカワ書房という人の曲に『顔2005』というものがある。整形をするという決意を母親に話す、という曲なのだが。自分の顔に自信を持てないことに、"だけど ママは綺麗だから 絶対わからないわ"という節には共感したもんだ。

 

 わたしは第3病棟になって、最近になって、やっとわたしは他者から「かわいい」と称賛されることもある顔なんだ、と自己評価を改めることができた。これも自撮りにいいねをし、時にはリプで言葉で褒めてくれるフォロワーたちのおかげである。第3病棟になるまでわたしは自分のかわいさを知らなかった。称賛はいつもSちゃんが、そして母が、受けるものだったからである。わたしをわたしとして承認してもらえる体験がなかった。

まだ、わたしの中には自分の容姿に自信を持てない自分がいる。「かわいい」とは言われても。どうせわたしはちょっぴりかわいいだけで。さほど優れてない。一番かわいいわけではないと知っているからである。

気が向いたらでいい。フォロワー各位にはどうか、わたしの顔を見たら。そしてそれを良いと思えたら。それを伝えてくれると嬉しい。リプライで言葉をくれとまではいわない。いいねでも充分である。わたしはわたしなりに、この危うい自己肯定感を安定させてゆくから。

 

 今朝は彼が早くに起きてきて、たくさんかわいいかわいいと褒め、大好きだと言い、あやしてくれた。

 

 

 

 あーあ、そういえば。はじめて入院した時、病棟で「べっぴんさんだね」と複数の男性患者から褒められ褒められ、そして執拗に付き纏われてたことを思い出した。あれがわたしのモテ期。最悪だ。