覚えてないんだね

 大晦日の車内。去年は病棟にいたけど、今年は娑婆で大晦日を迎えられた。我が家は毎年大晦日の日には朝から出かけて、夜に食べるご馳走の食材を買い、過ごし離れたイオンモールまで行ってショッピングをするというのが例年のお決まりである。二年ぶりに行ったあのイオンからZARAが消えていたのもショックだけど、車内でのこんなやりとりもわたしはなんだか寂しかった。覚えてないんだね。

 

 コストコで食材を買って、祖母の家に運び込んだ。そしてお昼時。イオンに着く前に腹ごしらえをしよう、さて何を食べようかと車内で話していた時のこと。わたしがうどんの話をしたから、家族はすっかりうどんを食べる気になって、道中のうどん屋を探していた。その途中、車窓からコメダ珈琲店が見えた。

「前にコメダでお昼ご飯を食べたこともあったよ」大晦日の昼食をどこでとるか。イオンモールのフードコートで食べることもあったし(早めに昼食をとっておかないと夕食が入らなくなるため今年は却下)、コストコで男たちはホットドッグを、わたしたち女はクラムチャウダーを(あんまりたくさん食べすぎると夜のご馳走が食べられなくなるから)食べることもあった。しかし三年前の大晦日、わたしたちはコメダ珈琲店で昼食をとったことがあった。

しかし、信じられない。母親が口を開いた。

「そんなの、全然覚えてない」

え?あのコメダ珈琲店での風景と家族の最悪の団欒を覚えていないだって?

わたしは弟にも尋ねた「コメダでお昼ご飯食べたことあるよね、弟ポン」

弟ポンは「あったね」と言った。ほら、やっぱり。子どもたちは覚えている。

 

 三年前の大晦日、食事の途中に父親が口を開いた。

「転勤になって九州営業所になった。福岡に戻ります」

するとそれを聞いた母が即座に「有り得ない、絶対無理」と言い放った。

この時、父は熊本にいた。わたしたち家族を福岡に置いて、父は単身赴任をしていた。転勤が決まり、福岡にある九州営業所に配属されることが決まったと家族に告げた。ところが、母はそれを拒絶した。

「絶対住めない」

一緒には住めない、母が冷たく、ヒステリックに鳴いた。明日は元旦。大晦日の買い出し。我が家が一年で一番のご馳走を食べて、年末年始のセールの中で目一杯ショッピングして。楽しい大晦日。その始まりに、母は家族の団欒を一瞬にして台無しにした。我が家に戦慄が訪れた。その地を、あの光景を。コメダ珈琲店を。覚えていないだって?

 

 この翌日、2021年の1月1日。母は話があると言って家族をリビングに集めた。もう父親とは暮らせない、私は出ていくと宣言した。わたしも弟も泣いて嫌がった。わたしの家庭はもうずっと両親が仮面夫婦。父親のことを母親は無視をしたし、キツく当たった。そのヒステリーをわたしたち子どもが浴びることもあった。見ているだけで不愉快だった。父親はいつかうつ病になって自殺するんじゃないかと不安だった。母はいつも怒っていて不機嫌なのでわたしは息を吐く間も無く、家庭の中に安心などなかった。いつかこの日が来ることは分かっていたけれど、この日が来ることがものすごく怖かった。ほんとうに、絶望した。

この日からわたしの人生は転落を続けている。両親の離婚がショックで、わたしは市販薬をバリバリボリボリ飲むようになった。ベンゾで日々のつらい記憶を消した。毎日死にたいと言って薬を食べ続けた。それを見ていた当時の恋人は、わたしを恐れてわたしを捨てた。過去に自分も希死念慮を抱いていたことがあった、それを思い出してしまうと言って泣かれた。「ほんとうに死のうと思ったことがある?」そう言われた日、わたしは博多駅で首を吊ろうと思っていた。しかし彼があんまりにも可哀想に泣くもんで心配になり、さようならと去っていく彼につきまとって自宅とは違う行き先の電車に乗った。知らない駅まで、彼を見送ったら呆気に取られた気になって、首を吊らずに家路についた。健全な家族(健全ではなかったけど、わたしは健全な家族でいられるように、両親の間に揉まれながらずっと努力して来た)と好きな人を失ったわたしは荒れに荒れ、毎日薬をジャラジャラと飲んでいた。メンクリからは過量服薬と自殺企図が問題になり追い出されて今通っている入院施設のある精神科に。そこで初めてうつ病という病名がつけられて、そのままはじめての入院に。この時の大うつがまだまだ続いていて、まだまだ生活はままならない。仕事に毎日は通えないし、まだ過量服薬に逃げる癖はある。いや、ほんとうは家族が破綻した幼い時からずっと、わたしはほんのりと死にたいと思っていた。

 

 ほぼ5年手帳、2021年から始まっている。

『家はメチャクチャ。父が熊本から家に帰ってくる。ママは出ていくと言っている。私は……どこに身を置けば良い?こんな日に。離婚決定!!!サイテー!』

ここからわたしが人生から転落していく様が、つぶさに記されている。わたしは、まだ忘れられない。三年前のあの日のコメダ珈琲店のことも、守りたかった家族が、指の隙間からすべりおちて崩れていったあの瞬間のことを。