4ヶ月ぶりに労働ができたお話です。
退院して、先週父と職場にお世話になっとります、というご挨拶をしたのもまたひとつ、ステップになったんだと思う。各部屋に挨拶まわりをしたら、子どもたちが「だいさんせんせい!」と応えてくれてうれしかった。
で、今日は出勤すべき曜日だったのだけれど。
朝目を覚ましていると父が部屋へやって来て、おはようの次の二言目には「今日仕事?」三言目には「今日はリモートだから、見送るぞぉ」だった。
わたしはよしてくれよ、と思った。
やれやれってこういうことだな、ホールデンよ。
その後もたびたびわたしの様子を見に部屋へ訪れる父。
Twitterでスペースをやっとるからノックに応えなかったのに。部屋に乱入してくることもあった。ノックとはなんだよ。
わたしがジェスチャーで、耳元に親指と小指を立てた手を持ってきて『電話』とアピールしなければ退散してもらえなかった。
極め付けには、さて、そろそろはるきゅんと会うためには着替えて家を出なきゃな、って時にも部屋に来襲して「気になる〜」「ソワソワする〜」と抜かす。
これが父なりの『ファイト』の表現だってわかるけど、無言の圧力というか。「きついから仕事行けない」という逃げ道をどんどん封鎖されて追い詰められてる気分だった。
わたしはこの時ついに「なんでしょうか」と自分の心に正直な態度で父に接してみた。マジでこの人が何を考えこのような行動をしているのか分からなかったからだ。
朝からずっと、プレッシャーを感じているんだと伝えた。父は「圧をかけてるつもりはないけど〜」と言った。いいや、そうやってわたしの様子を何度も見にくることが、無言の『仕事に行け』のメッセージなんだよ。
「それがプレッシャーなんですが」ともう一度伝えると父はわたしに「怒るなよ〜」と言った。
これが結構地雷な言葉で、たびたび医者もわたしの感情を『怒り』と表現するのだが、わたしは『怒り』という感情を封印したんだよ。
いつも怒ってる母親を見ながら「ああはならないぞ」と思いながら過ごしているうちにおおらかになってしまった。神経質な部分はあるから、『気になる』とその人の悪い部分が目についたりするけど。これは感情じゃなくて、論理で判断して「こいつはおかしいね」って判定を脳が下すんだよ。
怒らないことがわたしの取り柄。
つまりね、『怒っている』と思われることはわたしにとってはものすごく不愉快なことなんだ。『決して怒らない』というアイデンティティが傷つくから。
わたしはなんとか支度を終えた。
黙って出るより、一言父に声をかけて出ていこうと思った。でもこれは間違った判断だったな。
何故か父はわたしを「こわい」と言った。
一旦家を出てはみるけど、出勤するかどうかはまだわからない、と伝えたら、その間に自殺でもすると思ったのかね。恐れられた。
自殺されたくなかったら、刺激を与えるんじゃあないよ。
「こわ〜い」と玄関でわたしを不気味がる父をよそに、とっとと家を出た。
もう12:30を超えていた。そろそろ、主治医がいつものカフェに来てもいい頃合いだ。
何故か、近所の本屋に併設されたカフェ。
はるきゅんはたいてい毎日そこにいて、ランチをとる。だから、引きこもり解消に。外に出ておいで、本屋においでよ、といつしか言葉をかけてもらった。それが今では『木曜日は本屋に来てとりあえず外に出よう』と、もはや一週間のうちの目標となった。
先生に会った流れで、互いに「仕事に行ってきます」と別れ別れになったこともあったが。最後にそうなってからもう、4ヶ月は優に越してるなんて。考えたくもない。
わたしは本屋のカフェを覗いた。本屋のスペースとカフェスペースには仕切りがなくて、謎に開放的な作りになっている。わたしは正直これが心底落ち着かない環境設定だな、と思うのだけれど。先に主治医が座って食事をしているかどうか様子を見るにはあんまりにも見晴らしが良いのが幸いである。
今日は地味に繁盛していて、テキストを広げて勉強している女の子と、二組の母子が食事をとっていたが主治医の姿はなかった。
マジか。今日こそ会いたかったのに。わたしは本屋を彷徨い歩いた。もしかしたら本屋コーナーにあるかもしれない。わたしが訪れない間、主治医は本屋コーナーで購入した本を読んでいる。たいてい漫画本であるが。それをいつも本屋コーナーで調達しているから、まだ漫画を探しているのかな、なんて。
しかし、フラフラと、本ではなく人探しをしているわたしをなんとなく怪訝に感じてそうなオタクっぽいおじさんしかいなくて、やはり主治医の姿はここになかった。
先週の木曜日もだった。
退院してすぐの木曜日だったから、会いたかったのに。先週も医者はいなかった。病院で何か急用があったに違いない、とはわかるけど。会えなくて悲しい、という期待を裏切られた気持ちを切り替えることがわたしにはできない。
わたしはとりあえずキャラメルラテを注文しようと思った。
ランチもひとりの店員さんが作っている。パスタを茹でている。村上春樹か。
その後ろ姿に「お願いします」と、対応してもらえるように声をかけたけど、わたしの声は聞こえなかったみたいだ。
数分突っ立っていると「少々お待ちください」と声をかけられ、本当に言葉通りに少々お待たせされた。わたしは、なんともセンチメンタルな気持ちになって、この頃には目に涙を浮かべ始めた。
なんとかキャラメルラテを手にして、一人で四人掛けの席に座った。
次にどうすべきか、わたしは考えを巡らせていた。
母がLINEをくれた。仕事が少々手隙だから、車で職場まで送ってやろうか?というものだ。ありがたく思ったが、まだ仕事に行くかどうかわからないよと答えた。
わたしは不穏にさいなまれ、このような時にどうしたらいいか、分からなかった。病院に電話をかけた。
電話の向こうから、いつも外来にいる林田看護師の明朗でやさしい声がした
「特に用事があって掛けたわけじゃないんですけど……なんだか不穏で、掛けちゃいました」
そうしたら、「診察に来られますか?」と問われたけれども、「今日は仕事なんです、でも行きたくなくて」
家族が期待して送り出してくれて、それを裏切らない、というような強迫観念に駆られている、というようなことをもっとふわふわとしたペラペラの言葉で伝えた。林田さんはわたしの不安に共感してくださって「ご家族に相談なさって、行きたいと思った時に行けばいいと思いますよ」と言ってくれた。
で、わたしはついでに「はるきゅん先生はお仕事中ですか」と問うた。
看護師は「先生は今お昼休憩で、外に出られてますよ」と言った。わたしはすごく残念に思って「そうですか」と言った。いつもの本屋に来たら会えるかと思ってきたんですけどね、いないです、とストーカー発言をしてしまった。なんとなく、密会だったのに。主治医と患者が外でしょっちゅう会っているとなれば、なんとなく、治療関係として不適切な気がして後ろめたいんだけど。先生に誘われたというより、わたしが押しかけたというニュアンスで伝えた。先生の「おいでよ」と会う冗談を間に受けた勘違いキモ患者の道化を演じた。
林田さんに自分の置かれている状況や不安を話していると、涙が出てきた。涙声で話していたから、隣の座席に座っていた母子連れは何事かと思っただろうな。
わたしはこの後、どうなっちゃうんだろう、と考えた。
こんなに苦しいのにはるきゅんにも会えない。
神さまに見放された気分だ。運がなかった。このまま自殺しちゃうのかな、と思った。
『放っておいて』
わたしの自傷とか奇行とか。親への、頼む、放任してくれのメッセージなのかもしれない、とか考えたり。
わたしの作戦ではこうだ、歩いて母方の祖母の家に行くか、母の車に乗せてもらってわがままを言って父方の祖母の家に運んでもらうか、だ。
とにかく今は、横になって心も身体も休ませたかった。しかし実家に帰ったら父がいる。とてもとても休まるとは思えない。父をがっかりさせ、そしてその自己嫌悪からもっと気持ちが沈むに違いがないと思った。
わたしはメソメソとひとりで泣いていた。
しばらく、しばらく泣いていた。
すると、誰かがズンズンと歩いてきてわたしの横に立った。
黒いスーツを着た父親が追いかけてきた!と思った。
わたしは顔を上げた。
その正体は黒い上着を着たはるきゅんだった。
驚いたね。主治医を白馬の王子かと見間違えたよ。
医者は少々おもしろがっているように見えた。いいや、参ったが故の笑みだったのかもしれない。
「『今週も会えないかと思いました』と一言目に言われるかな、と思ってはいたけど。泣いてるとまでは思わなかったな」
主治医は先週わたしをすっぽかしたことも多少面目なかったと思っているようで、二週連続で会えなかったから、わたしが泣いていると思ったようだが、今日は本当に具合が悪くて泣いていたんだ、と伝えた。
しかしはるきゅんはずっとわたしの注意獲得行動について分析的な意見を述べていたし、仕事にも「行っておいで」と言った。父親とはるきゅんはグルかもしれない。林田さんと言ってることが違うじゃあないか。
「僕たちは慣れてるけど、他の人にはその交渉方法はしないほうがいい」と言われた。その交渉方法、が今日のわたしのキチガイ行動のどれが該当するのか正直分からなかった。尋ねたのに、もう忘れたや。
「でも林田さんはまたいつでも何かあれば電話かけてっていいました!」と言った気がする。情緒が乱れた時に他者に電話をかけて騒ぐな、ってことかもしれない。
わたしは病棟でのことを話した。意外と看護師って無視してんだな、ってことを。
わたしは毎日のように部屋で癇癪起こして騒いで泣いていたわけだけど、あの声、外に聞こえてないもんだと思ったんだ。
ある時も、まあ癇癪度70%程度の声量で泣いてたら部屋の外に因縁のJKちゃんがいて、「大丈夫?」って様子を見に来てくれたことを話した。それではじめて、「わたしのギャン泣きって外に聞こえてるんだ。でも看護師みんな無視してたんだな」って気がついた。JKちゃんの病室、別に近くなかったからね。そりゃ、4つ隣の病室のけたたましい叫び声がまるで隣室からしてるみたいに聞こえるもんだよ。これは一回目の入院で急性病棟しか空いてなくて、そこにぶち込まれたお話なんだけどね。またいずれ、このこともゆっくりブログに書けたらと思ってるよ。
「僕はそういう(患者からのアクション》のを拾いすぎているかも。でもそうじゃない看護師さんもいる。僕みたいな人がいてもいいとも思うけどね」
それはどうなのかな。
わたしも今医者に対して苦しいし、わたしも職場ではそう。子どもの発信を、特にネガティブなものを受け止めがちだ。自分を良い保育士だとは思わない。
そういえば、主治医がコーヒーしか飲んでないことに気がついた。いつもはなにが食べてるのに。
「先生お食事は……?今日はコーヒーだけなんですか?」と訊いた。いつもぽっちゃりを気にしていらっしゃるから、ついに昼飯を抜き出したかと思ったのだ。
「出先でかき込んできた」と言う主治医。ここ以外にも行き場があるんだね、先生。
「でもふと第3さんのことが浮かんでね、今日も来てるんじゃないかなと思って顔を出したら予想が的中したね」と言った。やっぱり王子様じゃん。若き日の杉山清貴に次ぐ日本の王子だよ。
わたしゃ驚いた。病院から派遣されて来たのかと思った。あいつ、本屋で不穏起こして騒いでいやがるよ、って。
「いいや、林田さんから言われて来たわけじゃないよ。そういうところは弁えてるからね」
まるでわたしはなにも弁えていないかのような御言葉。
「僕、漫画買うけど。一緒に見てみようか」
涙の止まらぬわたしに、主治医は優しく声かけた。保育と一緒だな。わたしもずっとグジグジ泣いている子どもを気分転換させるために、「ちょっとお散歩にでも行こうよ」と誘ったりすることがある。それとまったく同じだと、感じていたけど。わたし自身も前のめりに応じた。気が紛れるかもしれない、と思ったからだ。
先生と一緒に漫画コーナーへ行った。先生は、どれもこれも読み尽くしたと言った。
わたしは「ここには置いてないんですが」といってとっておきのお気に入り漫画を教えた。先生もそれは読んだことがあったみたいだ。「ああ、終わりが鬱なやつね」と言われた。
みなさんには刺さりませんが、おやすみプンプンが。わたしもああなりたい。ってか、田中愛子ってボーダーかもな。
文具コーナーを見ていたら、エヴァの話になった。
いや、本当は先生が「ガンダムが好きなんだ」って話をしてたのを「わたしはロボットだと断然エヴァ派ですね」と話題を乗っ取ってしまったんだけれども。
数日前にもHHCキメながら、Air/まごころを、君にという旧劇場版と呼ばれるやつを見たんだな。アニメ最終回のその続編といってもいいのかな。あれを見てるとね、登場人物が全部自分に見えるんだ。
「アスカもシンジも、ゲンドウも。全部自分に見えます」と言った。
アスカも境界シンジも境界。シン見るまで気がつかなかったけど、わたしは一番ゲンドウくんが近いかもしんない。って、シンを見た一度きり。あの時大好きな恋人と別れて、ユイに固執するゲンドウと自分を重ね合わせて、そりゃそうなるのもわかるわよ、と共感していたのである。
「エヴァが響く人は、成長期の。大人から子どもになっていく過程を描いている作品でもあるからね」
つまり、アダルトチルドレンだって言いたいんだろ。ちなみにわたしの二次元の初恋はサードチルドレンの彼なのよ。
「そういえば、新生はるきゅんチームに選んでくださったじゃないですか。わたしあの時、エヴァンゲリオンの最終回みたいな気持ちになったんですよ。『僕はここにいていいのかもしれない、僕はここにいてもいいんだ!』って」
おめでとう、ってね。とはるきゅんが言った。
「でも、もっと広い世界でそれを感じてほしいな」
はるきゅんの周りだけでなく。安全基地の話、毎回される。
「——あ、これは苦言を呈しているわけじゃないよ」
病棟で騒ぎを起こすわたしについて主治医が言った。看護師を困らせる→主治医が召喚されるというような悪いやり方を、無意識のうちに理解して実行しているのかも、と言われた。
「それはずいぶんと悪いですね」
わたしは言った。じゃあ、どうすればいいんだ?注意獲得行動がみられる"子ども"への対処としては、子どもが注意獲得のために悪いことをしているとかではなくて、何気ないところをよく見て、「自分は周りを困らせなくても先生に見てもらえてるんだ」という安心感を得ることが大切なのだ。
というノウハウはわたしもわかっているし、対大人についてははるきゅんだってわかっているはずだ。しかし何故、わたしはこんなにも上手くいかないんだろうな。
「また今度考えることにするか」
ホワイトデー、過ぎてしまったねとさりげなく言ったはるきゅん。
期待しつつも、まあ何もお返しがなくたってそれでも構わないと思っていたけど。
何か形に残るものだと嬉しいな。ハンドクリームと違ってさ。
その後、慌てて病院に戻ったはるきゅんと、母に連絡して車で職場に連れて行ってもらったことと。
職場でも涙が出てたけど頓服でなんとか落ち着かせて働こうとしたものの一時間しかまともに動く体力がなくなってしまったことと。
バスの学生ラッシュがキツすぎて。ヘルプマークやっぱ持ち歩いてた方がいいわこれ、となったりした。