新しい人物、あきちゃんご登場の予感です。
土曜から日曜にかけての明け方、眠れずに不穏な気持ちに苛まれたわたしは大学時代の先生にメールをしていた。
デパスを少々盛っていたので、今読み返すととんでもない精度の文章を送信してしまっていたことに驚愕してしまうが。まあ、ちょっとだけまた安定材料を得た感じはした。
水深1.5メートルのプールの底に、左足の親指が着いたくらいの安定感。(わたしはカナヅチである)
メールの長さは、記憶の3倍、いやいや。5倍くらいの膨大な文章だった。
大学を卒業してからどう過ごしていたか。どういう病気を主軸に今を失脚しているか。大学時代からずっとあきちゃん先生(主治医のはるきゅんと区別するためにそう呼びます。わお、なんだか辻村深月の小説に出てきた秋山先生っぽくていいですね)にいかに救ってもらいたかったかをだらだらと書いて、返信をいただくのはおこがましいと明記しつつもその言葉の裏に、「受け止めてくれ」という思いを隠しつつ送りつけていた。
メールの内容に対して具体的な返事はなかった。『辛い思いをしているんですね』それだけである。
わたしは大学時代、そこそこに気配を消して。しかし絶妙に浮きつつぼっち学生生活を送っていたが、あきちゃん先生にはまあ、ちゃんと覚えられていた。
よその、どの先生のゼミに所属していて。中高でそこそこ真面目に美術部をやっていたわたしは、学園祭で「ゼミのオリジナルTシャツを作って着て、店を出そう!」となった時に、そのデザインを担当したことを記憶されていた。わたし自身でさえ、自分が大学時代にペラッペラのTシャツのデザイナーだったことを忘れていたくらいだ。
あ、テキトー言ってるわけじゃなくてマジに記憶に残ってるんだ、と思った。
わたしが死んだら、わたしがいた記録は世界に1ミクロンも残らずに消える。まあ、せいぜい父と母と祖父母くらいは泣いてくれるかな。火葬処理が終わったらみんなケロッとしている、くらいの認識でいたが。ああ、なんか後世に若干名を残しているじゃん。本職の、第3先生としてじゃなくてデザイナーとして。と思ったりした。これが『肯定感』か、とマジで生まれてはじめて(脳内で言語化されて、というか。実感として)感じた瞬間だったね。
あきちゃん先生は今も変わらず我が母校の先生をされていて、社会福祉について教えられていることだろう。あきちゃん先生は、元ソーシャルワーカーとして現場で働いておられたのだ。
だから、学生時代からあきちゃん先生に「助けて欲しい」という気持ちをずっと抱いていたんだな。
心理士の先生もいたんだけどね。男の先生にすがっちゃうところが最悪で、自分がイヤになっちまうね。
わたしってもしかして、大人の女性が苦手?いやはや。男性相手だと、相手側も距離感をはかって接してくれたりするので、互いに適当な関係性に収まりやすいというのもあるのかもしれないな、とか思ったりもした。同じ極の磁石同士が弾きあって一生くっつかない、みたいな感じで。
あきちゃん先生はメールの最後に電話番号と『力になれるかは分かりませんが、話を聞くくらいならできますよ』と遠慮なく連絡をしてねと言葉を添えてくれた。
いや、なんか手帳とか年金とかのことも困ってるし、フツーに社会福祉士としてサービス利用しちゃおっかな、みたいな気持ちでいる。
手始めに明日、電話してみよう。
はるきゅんにも会えたよ。
久々にパニック的吐き気が起こり、家から遠ざかって病院に近づくごとに気分が悪くなった。途中でしゃがみ込もうかと思いつつも、なんとか止まらずにカメみたいな歩を進めた。体感としては、吐き気というよりも気絶してしまいそうな(したことないけど)気が遠くなる感覚、それに付随する吐き気が怖い。みたいな不安があって、倒れるな、集中して意識を保て。と精神統一しつつ待合室の椅子に座っているのも正直やっとだったね。椅子の上で身体を横に倒そうかとも思ったけど、なんか先週も採血でベッドに寝かせてもらったし。悪い気がして。身を起こしていた。
はるきゅん主治医と対面したら吐き気のことなんてすっかり忘れてしまっていた。今日は本来なら外来患者をメインで診る日ではなかったので、馴染みの診察室ではなかった。
「毎日入浴ができるなら考えますけど」と言って入院を拒否した。
主治医も「入院してる間に(先生が)いなくなっちゃうか」と笑っていた。冗談キツいぜ。
今日はガチで褒めて欲しい。言いたいことの8割は言えた。心残りの2割はODやら自傷やらを報告・懺悔できなかったことだな。
でも今日のわたしには90点くらいをあげたたいね。ここ数日悶々と鬱々としていた考えをすべて医者にぶつけることができたんだ。
自分の頭に渦巻いている考えが沸き起こるたびに逐一日記に記録して、それをメモ用のノートに転記していたんだな。
しかしね、そのメモを手にして診察室に入ったところで、お伝えすることを怯んでしまったり。内容をその場で顧みて、「いやこれはいま言うのやめとこうかな」と自分の思いや願いを引っ込めてしまうことは医者の前でも、そして人生においてもザラな出来事すぎるので。まず、メモに記録しました。ということをお伝えして、宣言した。「ここに書いてあること全部読みますと宣言します。怯んで言えなくなってしまうので」と言って読み上げた。
なんかね、前に某ネットアイドル?オーディションで世間の一部をざわつかせた女の子のオーディション動画みたいになってたよ。その女の子は自身の書いた詩か、手紙か、忘れてしまったけど。何かを唱えながらどんどん感情を昂らせていって、カメラの前でヒステリカルに泣きながら朗読を続けた。あの子のことが頭をよぎった。加工厨で彼氏バレ浮気バレして炎上して事務所からもインターネットからも姿を消してしまったネットアイドルだったんだけど。
あの動画をはじめて見た異様さ。ドン引き。あれをいま目の前で謝罪は感じてるんだろうな、とどこか冷静なわたしもいたね。
わたしのメモ朗読に、先生は「自分を理解しようと頑張ってるね」と褒めてくれたから「ほら、やっぱり天使だ。天使が出た」と言った。
医者は「いや、悪魔かもしれん」と言って笑った。そうかも、と言っといた。
依存だ、力不足だ。と先生は嘆いた。メモに書いてたからちゃんと読み上げたんだよ。わたしを肯定してあげるはずのわたしの自身の姿が先生で。わたしの中の悪魔が現実のわたし(自分を許せないわたし)で、わたしの中の天使(自分を許してあげたい、わたしに対して理想的なわたし)を投影しているのかも、って。でも今のはるきゅんは、わたしが健康優良善良少女として社会貢献するための足枷にもなってんだよな。
何をどう間違えたら医者が治癒の足手纏いになるんだよ?
「明日も来ていいよ」って言われたから明日まで生きる。
ママにもね、明日も来ていいよって言われたよって報告したら「カワイイ」って笑われた。
最後に、ゼミTシャツの一部になった力作の異国の少年を載せとくね。名前はジョブ。
何の資料もなくゼロからこの絵を生み出したのは単純にスゲーわな。明日は天皇誕生日に備えて天皇陛下の顔面を描く練習をするか。
ママから三島由紀夫じゃん、って笑われてるの。