主治医がせっかく、わたしのために紹介状を書いてくれたのだから。
労力かけられた紹介状をたずさえて、先日わたしはやっとの思いで紹介された胃腸科の病院に行ってきた。
親が「血便がひどいらしいので入院中に検査をしてくれ」と無茶振りしたからである。ここは精神科であって胃腸科ではないんだよ。設備がないから。他所の病院に入院中でも通院させるつもりだったらしいが、わたしが見積もりより早くに出たがったので、自分で通院をしなければならなくなった。
親もひどいもんである。「血便の検査の県はどうなったのか」と退院直前に電話をかけて来て「何故血便の検査の話が出て来たんだ?」と師長が参ってた。モンペですみません、と心から思ったさ。
まずね、父親も自分の痔をボラギノールで治したし、母親は絶賛イボ痔を放置中(20年目)なのだぞ。自分たちは受診を拒んでいる癖に、なぜわたしをわざわざ病院に派遣しようとするのか、気がしれねえぜ。
精神病院をしばらく進むと、歯科がある。ここもかかりつけである。そこから更に進んでいくと、次に現れる病院がこの胃腸科を飲み込んだクリニックである。
家から歩いて通える距離にあるものの、まあ用事はないので普段は通らない。こんなところにクリニックがあるのも、よく知らなかった。
中に入るとなかなかの大盛況で、困った。
院内は土足を脱いで上がるスタイルなのだが、スリッパが無い。
そのくらいに患者で蔓延っていた。
ただの胃腸科だと思っていたのに。内科と小児科もやってるらしい。春休みだということもあってか、ジジババはもちろんだが、子ども連れの親子も多かった。そしてその小さき小学生どもがこぞって大人用のブカブカのスリッパを履きやがる。
こうして本物の大人が来院した時、困るではないか。大人用のスリッパが、もう一足もない。
しかし、床の上は不潔な気がして。一瞬、スリッパを履かずに素足で上がらせてもらおうかとも思ったが。どんなウイルスをわたしの靴下が持ち帰るか分かったもんじゃない、と思って、わたしは仕方なしに子ども用のスリッパを履くことにした。
わたしでよかったな。わたしでなければできない芸当だぞ。
自慢ではないが、わたしは足のサイズが小さい。
横幅が広いので、靴はだいたい22.5〜23.5cmくらいを購入するが、物によっては縦幅の余りを感じることもある。もちろん、つま先までは入らなかったさ。足の横幅が大きすぎて小さなスリッパにつっかえてしまった。しかし、他の一般的な足のサイズをした大人ならここまで深く子ども用の某ネズミの絵のついたスリッパを履くことは難しいであろうし、はみ出るのがほんのかかと部分だけ。つま先歩きを努力せずとも、院内を歩けてしまう自分の足の小ささにあっぱれだった。生まれて初めて「足が小さくて助かった」と思った瞬間だった。
受付の人も大変無愛想である。
お初にお目にかかる患者だというのに、わたしゃどうしたらいいんだい。なんとか言ってはくれまいか、と思った。ボケッと受付の前に数秒立っていたら、やっとわたしのために受付の人が動き始めた。
受付の人、二人もいるのなら。患者さんが来られたら普通、片方はすぐに来院された方の対応をするのではないかね。と思ったりした。わたしから食い気味に「こんにちは」と挨拶をして、保険証と紹介状を渡しながら「本日予約しました」と名を名乗って、やっとこさ問診票を手にした。
待合室にも人が多すぎて、触れる場所がない。
キッズスペースのような座敷もあるけど、わたしみたいなこどおばがそんなところに座ってたら怖いかな。なんか、大人しく待ってはいられない身体の大きな小学生もいるし、不気味であった。知能が心配だとわたしはすぐにピンと来た。
ああ、知らない病院からの洗礼を受けている。スリッパはないし受付は無愛想だし、患者も多いし内科もあるし(頼むから胃腸炎系の病気はもらって帰りたくない)、壁には『PCR検査受けられます。』という明朝体で書かれた文字をプリントしただけの、お手製と思しき不穏な紙まで貼られていた。
胃腸科、もしくは肛門科。単体の病院に送れよ、とわたしは思った。こんなご時世に、感染症の患者さんと接触する可能性のある病院に送られたくなかった、と。日頃引きこもりをしていて感染リスクが低い生活を送っているがために、強く感じた。わたしは元より潔癖で、精神科や歯医者や皮膚科や整形外科等以外の、感染性のある病気の人が来るかもしれない病院(つまり内科とか胃腸科とかの類である)が恐ろしいのである。
予約したのに。初診だからか、なかなかに待たされた。
いつも通っているかかりつけの内科はめちゃくちゃに捌けるし、毎週世話になっている精神科も空いてる時間を狙って来院することにしているので、病院で待たされるとうんざりしちまうね。
わたしより後に来た親子が先に診察室に倒されたりする姿を横目に見つつ、そして靴箱に返却されゆくスリッパも見つつ。
しかし、大人用のスリッパに履き替える気も起きなかった。この小さきスリッパを無理して履く行為は、わたしの中の自己犠牲心の象徴に思えた。他者が脱ぎたてホヤホヤの、人肌の温もりを残したスリッパに履き替えるなんてごめんであった。取っ替え引っ替えするより、ずいぶんなんらかの感染症をもらうリスクが下がるであろう、清潔に過ごせるであろうと考えて、小さきスリッパに無惨にも押し込まれた足たちを労った。
やがて通されたのは、処置室のような場所であった。
待合室を抜けると似たような扉がたくさんあって、わたしが押し込められた部屋には『5』と扉に書いてあった。つまり、なんだか似たような処置室だか診察室だか。あと4部屋は存在しているということだ。
部屋にはベッドが置いてあって、その横には嫌にデカい機械が置いてあったが、この機械とはご縁がないことを祈った。
若い女性看護師に、ベッドに横になるように言われた。
腰のあたりをタオルケットで隠され、下着を下ろすように指示をされたので、そのようにした。すると腰にタオルがかけられて「そのままお待ちくださいね」と言われた。
わたしはずっと壁の方を向いて横になるように言われていたのだが、医者が到着する間、何度か処置室を看護師が出入りしている様子がうかがえた。というのも、普通、尻を丸出しにした患者が。それもジジイでもババアでもなくてうら若き、自我もしっかり持っている20代前半の女性の初診患者だぞ。もう少し丁寧に対応してくれてもいいんじゃないか。
例えば、準備のために処置室を往来するときにもノックして「失礼しますね」「準備しているので何度も出入りしてすみませんね」と声掛けをするだとか、あるのが自然なんじゃあないか?わたしなら、そうするけど。ここの病院の看護師は無言で処置室に入って来ては、何かしらをガサガサとやって出て行く。
そんなことが数回続いた後で、ようやく医者が登場した。
男性の医師であることは、主治医(はるきゅん)から説明を受けていた。後で聞いた話だが、主治医のお兄さま(家業を継いでクリニックの医者)のお知り合いらしい。それで、主治医も何度か自分の患者をこの病院に送ったことがあるそうな。後になってわたしは言ったさ。「もうあの病院に他の患者さんを送るのはよした方がいいですね」と。
突然、尻を触られたのでびっくりした。
普通、一声かけないのか?わたしは、壁を向かされているので、医者の顔も見えないのである。そんな中、突然尻を開かれたので、少しばかり驚いた。無神経さに。なんとか言ったらどうなんだ、と思った。
しばらく尻を観察され、看護師に「ジェル塗りますのでヒヤッとしますよ」とやっと声掛けらしい声掛けが来た。ジェルを塗られたので、ああ、今から何かをついに入れられちまうんだな、という想像はできた。
実は写真の直前に通話した相手が肛門科の先人で、痔瘻というやつになっていたらしく手術の経験者であった。「まず、指は確実に入れられると思う」「(その先人は)カメラを入れられて、グリグリされた」と語ってくれた。ので、『確実に指を入れられる』という謎の覚悟が出来上がっていた。
ついに来た。「息をフーッと吐いてくださいね」看護師の言うとおりに「フ————ッ」と声に出してやりながらわざとらしく呼吸をした。分かっていたが、尻の中に何かが飛び込んできたのでまたもびっくりした。だから、何とか言いなさいよ。
わたしは自分が何をされているのか。先人のアドバイスのおかげで「たぶん触診されてる」というのは分かったが、本当にこれは指で掘られてるのか?それとも、カメラでグリグリされてるのか?はたまた、別の器具か何かでほじくられているのか?
なにも、そのあたりの言葉掛けがないので、一体自分が今どのような処置を施されているか分からない。
そして、これが一番信じられないポイントであった。
尻の向こうから、『パシャッ』とシャッターの音が聞こえた。
わたしはすぐに察した。ケツの写真を撮られているということを。患部の写真を撮影しているのだ。
以前、皮膚科にかかったときにも患部の写真を撮られたことがあった。それがすぐに電子カルテに載った。さすがにその皮膚科でも、記録のために撮らせていただく、と一言ことわりがあった。しかし、このクリニックは勝手に患部の写真を。しかも尻の穴の写真を。わたしの許可も、わたしへの説明もなく勝手に撮影を始めた。
あの電子カルテiPad撮影皮膚科を通っていたから驚きは半減だったものの。そうやって今は気軽に患部の写真を撮って記録に残しとくもんだ、と知らなかったら。わたしはびっくりして声を上げていたかもしれない。
医者と看護師は「これだこれだ」と何やらを見つけたらしくて嬉しそうだった。触診で分かる部分に、悪い部分が見つかって何よりであった。
この浅瀬に何も異常がなければ、カメラを突っ込まれるところだったかもしれない。
しかし肛門というのは、だいたい出口である。入口ではない。非常に苦しい。好きなYouTuberが、大腸カメラでケツを掘られてる動画を見たことがあったさ。潰瘍性大腸炎という持病を持つ彼のガチ恋であるわたし。彼の苦悶の表情が見ていてつらかったのを覚えている。
医者に「ここ痛いでしょう?」と触られるも、もう「苦しいです」という言葉しか出なかったよ、ゆたちゃん。
医者は引っ込んだ。そして看護師も片付けをして出て行った。
ベッドに腰掛けて待つように言われたので、数分そうしていた。
そしたら、医者が『おしりSOS』と書いた、タイトルだけで笑っちまいそうなパンフレットを持って来て、それを開きながら、図解を見ながら。そして印もつけながら。説明を聞かせてくださった。この辺りの説明だけは、まあ丁寧だなとは思ったが。後の処置は全部雑でクソだ。
誰か、ベッドに横たわるために脱ぎ捨てたミ●キーマウスの子ども用スリッパにつっこみやがれ。
……って話を、最愛の主治医にしたんだよね。
なんでよその病院でケツの処女を奪われちまった話をしなけりゃならないんだ、と思いつつ。わたしはしこたま、上記のような説明をして。口調は穏やかであるが苦言に変わりはない。クレームを言っているのと同じだ。
主治医は「申し訳ない」「嫌な気持ちをさせるつもりはなかった」と平謝りで、手を合わせて「ごめん」と陳謝した。
そこから研修医時代に、診察台にウィーン乗せられて先輩の医者に、パチンと太ももを叩かれてビクッと来た話(意訳)を聞いて滾る興奮を抑えたり、「兄経由で報告しとこう」と、まあとにかくわたしのトンデモ病院受診体験は、トンデモ病院にフィードバックされそうである。
もう二度とわたしのように、雑に尻を掘られる患者を、この病院から出すなよ!と思ったのであった。
病院から出た時もそうだったけど。
主治医に話して尚更、何かを喪失したような気がした。