いつからうつ病なのか

 医者に、何故受診しようと思ったのかという最初のきっかけを問われた。

前の精神科に初診でかかったときは、嘔吐恐怖症に困っていた。もう気合いでは耐えられない、と思って、すがる思いで病院に駆け込んだわけだ。

しかし、今メインで診てもらっているのはうつ病境界性人格障害だ。

 

「いつから嘔吐恐怖以外にも自分はおかしいなと思いはじめたの?」と訊かれて、上手く説明できなかった。

「10代の頃からです」「人前に立つのがすごく怖くて」「おかしいなと思いました」と言った。今のことで一杯一杯で、10代の頃のつらさを具体的に思い出すことができなかった。一番に浮かんだのが人前が怖い、ということだ。

 

今は仕事柄割と堂々と人前に立ててしまうようになったのだが、大学時代も苦手で、注目されると頭が真っ白になって硬直してしまったりしていた。

しかし、一番自分に参っていた時期は中学二年生の頃だ。

あの時は友人関係(特にトラブルがあったわけではなく、周りの環境がネガティブに写っていた)と家庭環境も悪くわたしもうまく立ち回れていなかったので、色々とプレッシャーや緊張感、不安を持って生活していた時期だった。

わたしはジャンケンに買ったんだけど、なんでか相手のことが可哀想になり「もう一回戦」と言ったらまんまと負けたのだ。で、『健康観察係』にされた。

朝のホームルームの時間に教卓に立ち、体調の悪い生徒がいないから尋ねて、挙手があれば状態を聞き、健康観察簿に記録するという仕事だった。

人の前には立てたものの「体調の悪い人はいませんか」と教室の大衆に向けて声をかけるのが怖くて、つらかった。先生はこう言えばいいよ、こうしていいよ、と隣でサポートしてくれたが。超冷や汗モノだった記憶がある。

このことをわたしは「人前に立つのが怖かった」という一言で話した。

 

この頃は劣等感が強かった。優秀な友人の隣にいて、友人と自分自身を比較してしまっていたからである。その友だち個人のことは大好きなのだが、なんでもこなして周りの生徒や先生たちと上手くやってる彼女が羨ましかった。

で、この頃からぼんやりとした希死念慮があって。どうやって自分を殺すか、という絵を描いて紛らわせたりしていた。

そうだ、自傷もこの頃から始めた。中学一年生の頃に指の皮むきからはじめて、中二でカッターを手にした。

親が不仲で、いつも父親にキツく当たってる母が怖かった。わたしにも、少し怖かった。暴力はまったくないけど。母は相手を傷つける言葉や、相手を萎縮させる態度の取り方をよく知っている女だ。

そんな親を反面教師にするあまり、感情を抑制するようになった……?かもしれない。わからない。そもそも感じてないけど。怒りとかイライラとか、激しい感情は自分を切ったり殴ったりして抑えた。そのうち、穏やかな人と評価されるようになったし、まあ物事に寛容になれたのでそこのところは良かったと思う。こうはなるまい、というお手本がいて。

第二次反抗期がないまま成人した。

 

 

高校ではやや穏やかになったが、大学では揺さぶられた。

大学のカウンセラー室に通い出した。これは嘔吐恐怖症が気になっている、他健康診断のアンケートに書いたら養護教諭にカウンセリングを受けるように強く勧められ渋々通っていた。あまり打ち解けられず、話せるようにはなれず。最終的に医療機関にかかるか、今はまだ様子を見るかという選択肢に落ち着き、その頃は嘔吐の現場に長らく遭遇していなかったために、病院は必要ないと思った。

高校生の頃にも親に、嘔吐恐怖症に悩んで精神科に行きたいと言ったことがあったが反対されたのだ。保険証がまだ親持ちだったから、受診には精神科に通う許可がいる、と思いやめた。

学部柄、社会福祉士臨床心理士、カウンセラーが講師をしてその授業を受けることもあった。

心のどこかでは、先生、たすけて。と思っていたけど。うつ病なのか、それともただ暗い性格なだけなのか判断もつかなくて。誰にも相談できなかった。

ちなみに大学では友だちゼロ人で浮きまくっていました。いつも無表情なのでポーカーフェイス(笑)って言われてた。

茶化してくるのは明るいキャピキャピした女なので許した。レディガガやん、とちょっと自分でも面白がってたな。

 

 

 

また詳しく問われた時のために。

うう、上手にお話ができるようになりたい……。