元気になるのがこわい

転院した方がわたしの調子は好転する、というのはわかっている。

が、今の病院から離れられない。

 

わたしは入院を視野に入れて前のメンタルクリニックから追放されてしまったので、退院の時、よその病院に転院するか問われたのである。

それだけでわたしの心はズキりとした。

見捨てられ不安がはたらいたわけだ。

 

先週の診察で見捨てられ不安については「そんなに感じてない」などと言ったが、自分が認識してないだけで、ほんとうは強いのかも知れないな。

 

わたしは転院を断った。すっかり今の主治医が気に入っちまったからね。あと、まあふつうにわたしを見捨てた前の医者のところに戻ることは考えられなかったし。メンクリは職場近所、精神病院は自宅近所で、また新たな病院に通おうという気はさらさらなかった。結局引きこもりになってしまって、職場方面に行くのも今では一苦労だったから、家から徒歩で通える精神病院に継続して外来受診するという判断は今のわたしにとってはたすかってはいるが、長い目で見た時にもそうであるかはわからない。

 

わたしは、元気になるのがこわい。

それがわたしの病を根深くしているのだ、と最近つくづく思う。

主治医に見捨てられたくないからである。

愛着を抱いた主治医のお側に置いておいてほしいし、手をかけて欲しいってよこしまな思いも、気がつきたくないけど。わたしのなかに宿ってるのを知ってる。

それも含めて、わたしのパーソナリティがイカれてるところなんだけど。

 

もちろん、そうするには別の背景やきっかけがある。しかし薬をたくさん飲む時、腕を切る時、主治医の存在が脳裏をチラつく。

それも抑制に働くわけではなく。

薬を飲んでも先生は怒らない、腕を切ったら何かあったのかな、と話を親身に訊いてくれる環境をセッティングできる。ということを、たぶん、分かってて、知らぬ間に、やってるんだ。

保育でいうところの、注意獲得行動。

 

そして、具合が悪くないと、それはそれで不安なのだ。

手のかかる患者でありたい。隅に置けない患者でありたい。心配される患者でありたい。

これが、操作性ってやつかも。

 

どちゃくそボーダーやんけ。

 

元気になるのがこわい。

元気になったわたしは、精神科を卒業し、主治医の元を離れていずれは自立しなければならないから。

元気になるのがこわい。

昨日切った傷口を、さらに深くすべく剃刀の刃を腕に当てた。