あれ?今日なんだ。てっきり10月17日がわたしの命日かと思ったよ。去年書いた日記を貼りますね。ところで3回忌って書いちゃったけど3回忌って丸2年経った時にやるやつ?それ去年じゃん!
自殺未遂から3年経った。今の現状をお話しします。わたしは3年前の今日、ベンゾを大量に飲み意識混濁(自分では薬がキマっている意識がないので無限に飲む)。通っているはるきゅんのいる精神科に行ったら「週に3回以上ODしたら入院ね!」と言っているはるきゅんが待ち構えている……前に通っていたメンクリに駆け込むも、たぶん取り合ってもらえなかった(が、時間前に連絡をとったと言うことで警察の時事長徴収があったらしく「警察沙汰にした患者さんはもう診れません」とのちに出禁になる)。恋人に「メンタル安定には豆乳がいいよ」と言われて、大嫌いな豆乳を買った。
ところが?ここで家の鍵がないことに気がついた。

わたしは買ったものを玄関に並べた。時間は真昼間。親が帰ってくるまであと何時間とある。
「家の鍵がないと言うことは、死ねと言うことか」
わたしは出かける時に肌身離さず持っているぬいぐるみがある。父の過ごしている部屋の窓の扉が開いていたので格子の間からぬいぐるみを入れたバッグを父の寝室に押し込んだ。この時、もう死のうと決めたんだと思う。
おそらく、縄は100均で調達した。単では細すぎるので二重にして結ぶ。おかしかったのが、救急病院から精神科に入れられる、手続き中に携帯が返ってきて、ご丁寧に『もやい結び』と調べていたところ、わたしは近所の、たまに子供も遊んでいるような人目の中はないような公園を選んでしまった。そこ以外首が吊れそうになかったから。頭のとち狂っていたわたしは恋人と通話を繋ぎながら首を吊っていたのである。
「自撮り撮った」

送った写真はこれ。首が縄にかかるすんでのところといったところであろうか。(この自撮りは危険なので保存している)
このあと恋人の耳元から「ンゴ!」みたいな声が聞こえてうご〜と苦しんでいた様子であった。
近所の人が気づいてこれは大変だと言ったと言う。
「青いものを吐き出している」と言っていたらしい。それはフルニトラゼパムやでな。
その方の迅速な動き・連絡によりわたしのことは救急・消防へと連絡が行き。病院に着いた時?には心肺停止の状態だったという。あと一歩だったのになぁ。しかし些細な処置をされて、わたしは生き返ってしまった。医療器具のカードで首を絞めて暴れたと言う話と、見舞いに来た弟に対して「誰だかわからない」と言ったらしい。ずっと車椅子生活だったらしいがそんな回かわたしにはない。気がついたら歩いていたし、わたしが自分の意識を取り戻してから数日もしたらはるきゅんの待つ精神病院に搬送された。そこで4ヶ月ほどの最悪な時間を過ごした。
3年経ってみて、わたしは躁を頻回に起こすタイプではなく、一度躁転したために付けられたのが双極性障害という病名なだけで、今も長いうつ期が続いている。
特にわたしは冬になるとうつがひどくて、家から出られなくなる。朝起きられないから、シフトを午後からにしてもらった。それでも身体は動かなかった。フルタイムで3年、休職してから時間パートで務めるようになって4年が過ぎたけれど、ついにわたしは1日も出勤ができなくなった。契約の更新は4月1日。それまでに体調が戻って職場に来られれば、と。事務員に言われたが。それも叶わず。わたしは4月1日から無職になった。休職はしたけど。無職になったのははじめてだ。
処方薬は一年で結構変わったと思う。まさに今日診察を受けてきたわけだが。ベンゾを減らしたい主治医 VS ベンゾ大好きなわたしの戦いが繰り広げられた。去年はブログを読む限りいろんな気分安定薬を飲まされていた。リスペリドンやシクレストなどなど。でもこれらは「あなたにとって頭の甘子にしかなってないかも」という主治医の判断で、なくされた。今飲んでいる気分安定薬は炭酸リチウムだけだ。他がなくなったところで別に。わたしの生活に変わりはなかった。
しかし、シクレストを減らしたからか?不眠で眠れなくなった。わたしとしては睡眠薬を増やして欲しいわけだが。主治医は何と抗うつ剤を増やしてきた。副作用の眠気でわたしを眠らす気だ。まずはトラゾドンというのを飲んだ。これはあまり意味を感じなかった。眠れない。そこで次に先生が出してきたのがミルタザピンであった。わたしの先生は絶対マイスリー出さないマンなのだ。このミルタザピンは眠りによく作用する。やがて、抑うつがひどいと訴えると「お好きな抗うつ剤あります?」と言われた。え!選べるの……?でも、躁鬱の患者に抗うつ剤は出ないものだと勝手に思っていたわたしは効果の高い抗うつ剤など知らなかった。「ではミルタザピンを一度最大まで増やしますか?」ということになったのである。ミルタザピンをMAX(ほんとうにMAXなのか?)に増やしたら、これまであった身体のだるさ、重さがマシになった。それから、これは先月からだが不安時に飲む薬としてレキソタンが増えた。パニックや不安・不穏のあるフォロワーに向けて「おすすめの安定剤はないか?」とツイートしたら、3件リプが来たのだが。3人ともレキソタンの名を挙げたのだった。ということを話したら、前にレキソタンの名をあげたときは縛っていたくせに、易々とレキソタンを出してくれた主治医。正直効いている気がしないが不安な時に飲める薬は多ければ多いほどいい。
生活面は、たまにパソコンで、趣味で撮っている動画編集をやりたくない、やりたくない、と言いながらやり、そしてベッドに寝そべって(これがわたしの絵を描くスタイルだ)絵を描く。これのみ。これは体調のいい時の、わたしの過ごし方だ。
友だちはたったの一人もいなくなってしまった。(幼なじみお友だちは別。どんだけ嫌いでも家族ぐるみの中だから)わたしの周りの人はわたしがうつ病すぎてみんなわたしに激昂して去っていった(理不尽)。わたしが他人を怒らせる才があるのか、たまたま激昂するようなタイプを依存させてしまうのか。突然関係を断たれてしまうことも少なくない。誰からも誘いがない(友だちがいないからね)。
わたしが外出する用事といえば、スーパーに買い物に行くこと。はるきゅんが主治医だった時に、「作業療法的に料理をしたらどう?家から出ても、料理ができれば助けになるし」と言われたら入れることにした。毎週水曜日。今年で4年目になる。外食で潰れてしまう以外は、ちゃんと毎週使っている。
わたしは台所が怖かった。母のテリトリーな気がして。中学生くらいの頃。料理に郷里を持ったことがあったのだ。だから母と一緒に料理を作りたい、教わりたいらと思ったのだ。が、母に頼んだら「イヤ」と言われた「だって面倒くさいだもん、教えるの」。以後、一度も料理を作りたいなどと言う意欲は湧かなくなった。次いで、わたしには『すごく家事ができない女』だという感覚があった。いや、ただ家事をしたことがないだけだったのだけれど。
料理をしてみた。わたしの料理はすごく大雑把である。味見をする方が稀。計らずに(だって家にメジャースプーンとかないから)目分量で醤油やみりんや砂糖をどばどば入れる。これが意外にも家族に好評。九州生まれ。恋味の好きな家族からはわたしの調味料どばどば料理がヒットしたみたいだ。得意料理は酢豚である。
貯金が、「あなたはうつ病です。入院が必要なので休職してください」と言われた4年前から半分に減った。正直、働けていないことにかなり焦りを感じている。
わたしのしあわせってなに?この腐った、離婚済みで家庭内別居しているような両親が住む家庭から出ること?どう働いて?わたしは前までお世話になっていた職場でまた働きたい。恩もある。わたしはあの仕事以外何もできない。
突然ですが、好きな女の子がいるんです。(推し)彼女は双極性障害(多分複雑性?)PTSDなどわたしと同じような病気を持ちながら。わたしより5つも若い、超若者なんですけど。旦那さんがおられるんです。その方は料理は卵焼きしか作れないと言っていた。おそらく家事も何もしていないのだろう。旦那さんが仕事いっちゃった悲しい、お父さんお母さん会いたい(実家は自宅の県内の模様)。といつもツイートしている……。あるとか質問に答える動画を出していました。リスナーの方が「わたしも無職で焦っています。〇〇さんも無職と度々言っしゃっていますがこのまま無職を続けることにむいてどう思いますか(要約)」というような質問を取り上げた。その女の子はすごくこの質問に触れづらそうにしていたのだけれど、「私は、もう無理だなって。無職でいいかなって。思っています」と答えていた(気がする)。…………いいね、って思うんです。お若いのに、健常者の理解あるパートナーがいて。自分が働かなくても収入があって家計はなんとかなって。実家の父や母とも仲が良くて(私から見てると、その、「ODやめろ!自傷やめろ!騒いだら救急車を呼ぶぞ!」という関わりはちょっと。違うかなと思うけど)(彼女のPTSDは、おそらくツイートの内容から察するに兄(二人いるそうで、片方が悪い兄なのだそうです)から受けた暴力、虐げが今も彼女を苦しめている、と思われます)
わたしなんてこの先、生きてても何もいいことなんかありませんよ。わたしは病名だけが同じの正反対だ。パートナーは頑張っても障害者雇用。それも何年先の話になるのか。わたしはもう働けません。あの頃のようには。わたしの職種の手取り知ってます?13万円です。独身の先輩方はみんな実家から出られなくて、いい歳どころか。もうとっくに。私の親よりも年上で、家に置いてきた自分の父母がどう過ごしているか心配だとか急に母親を病院に連れて行かなければならなくなったとか。これが福祉職の現状です。わたしもそうなるんです。手取り13万で家から出れなくて、ずっと父親から薬を管理され、ずっと母親から罵詈雑言を浴びせられて過ごすんです。これなわたしの人生なんです。
早く終わらせたい。また薬増えなかった。死ね。
P.S.わたしの仮命日は10月17日でした。

