3年前の入院生活。わたしは10月に自殺を試みたところを近所の人に発見され救急病院に搬送。その後数日してサイレンを鳴らさずに。静かな救急車に連れて行かれて、かかりつけの精神科に転院することとなった。わたしはてっきり、大晦日までには家に帰れるもんだと思い、何度も主治医に交渉したが。先生は笑顔でやんわりとわたしの話を交わし、せめて年末年始に外泊をと言ったが。許してはもらえなかった。
わたしの家は、毎年家族で大晦日は朝から出かける。それが一年で一番楽しいお出かけかもしれない。母方の祖母を車で拾って、みんなで一緒に何か食材を買いに行く。一年で一番贅沢をする日。コストコに行ったり、市場に行ったり。肉や刺身。食後のデザートなんかを。各々好きなように買っていく。そして食材を確保したら、今度はショッピングモールなんかに行って。みんなで一緒に、はちと、身動きが取りづらいので父と弟、そして祖母と母とわたしと男女で分かれてショッピング。祖母がいつも「ひとり5000円まで出しちゃる。お年玉よ。それを超えたら自分で払いなさいね」と言って。我々孫に洋服や靴を買ってくれる。わたしは毎年祖母からのお年玉。新しいお洋服を買ってもらうのが好きだった。わたしの。お目当ては……大好きな𝒁𝑨𝑹𝑨 。
そして夕方には祖母の家に帰ってきて、ご飯を炊いて、刺身を盛り付けて。ホットプレートで肉や野菜を焼く。この日は誰でも祖母の家に出入りOK。ご近所さんが来て食事をしたり。わたしもお友だちを連れてきたり、その時交際していた彼氏を連れて行ったこともある(その後、即破局したが)。0時になって、あけましておめでとうになると、太鼓の音が聞こえてくる。祖母の家は神社が近く、神社には初詣に、と参拝客が訪れる。そこで太鼓鳴っているのである。近頃はもう、その近所の神社にしか行かないが。以前は、父と弟と3人で(祖母は眠り、母はひとり先に帰る)その日の朝が来る前に三社参りを済ませていた。お参りに行った日は2時ごろ帰宅して、少しだけ睡眠をとり。昼頃になって、今度は父方の実家に行く(昔は母親もいたが、ここ数年はいない。両親は同居してるけど、離婚したし。母の行く義理はない)。ここで我々はおせちを食べる。祖母が毎年お餅を焼いてくれて、お雑煮に入れてくれる。お腹が満たされたら、祖父母と父と弟とわたしは墓参りに行く。わたしがこのまま独身だったら、そこに入れられるであろう、わたしの苗字のお墓はそんなに遠くはないのだが。祖母の実家のほうの墓所が。市内とはいえかなり遠くにあり、墓を二軒回るだけなのにかなりの時間を要する。寝不足と、墓参り疲れですっかりくたびれて、家に帰る。それがわたしの大晦日と正月の、揺らぐことのないルーティーンだった。
それなのに、わたしは病棟の中。家に帰してもらえない。
大晦日が来た。今日の夜勤は誰だろう。ああ、あの、体格のいいくまさんみたいな、若い男性看護師だ。今のわたしくらいか。いや、貫禄はあったからもう少し上かもしれない。そのくらいの年頃の看護師さんと……あと一人は忘れてしまったな。でもこの看護師さんがその日を主に取り仕切るリーダーで、たぶん他のもう一人の夜勤の看護師さんもお若い方だったのだろう。この男性の看護師さんが「しょうがないな〜」と言った。ホールにいたみんなに聞こえるように。
「今日は大晦日やけん。紅白つけとっちゃるね」
いつもは21時に消灯となる我が病棟。もちろんテレビ(小さなテレビが1台だけホールにあり、天井からかなり高い位置に吊り下がっている。ブラウン管ではないのにやけに分厚い)も消灯時間になったらおしまいである。が、この日は特別に21時以降もテレビを見ることが許された。
患者たちは前々から「大晦日の夜勤だれ?」と気にしていた。看護師によっては、消灯時間絶対厳守で、テレビを見せてもらえない人に当たる年もあるのだろうなと、予測した。この日夜勤だった看護師二人は、お若くて、やさしくて、融通が利く人々だったのだ。
正直、この年の紅白歌合戦が一番おもしろかった。何故ならば、出てくる人をみんな知っているから。病棟では、テレビがホールに一台。それしかないために、みんなでチャンネルを譲り合わなければならない。わたしは暇ですることがないため(母親に本をねだりまくったが、すぐに読み切ってしまうので、すぐに暇になる)、いつもホールに出て、興味のない番組でも。ずっと見ていた。あの病棟では音楽番組がかなり好まれていて、必ず音楽の番組がついていた。作業療法の時間も。作業療法士さん何にもしてませんやん!って感じだが。音楽鑑賞という名目で、過去の音楽番組の録画などを延々と見せられていた。
そうしたことで、わたしはこれまで世の流行のJ-POPなんかにはかなり疎かったのに。ばっちり、テレビで取り扱われる流行の音楽を知ってしまっていた。あの年はOfficial髭男dismの『Subtitle』が流行っていて、わたしがラジオ持ち込みの許可が出てからと会うもの、ずっと『今週の第1位』に君臨していた。レコード大賞を取ったのはSEKAI NO OWARIの『Habit』だった。レコード大賞の日はもちろん21時消灯なので我々患者は早々に寝かされ対象を知らぬまま翌日を迎え、看護師が教えてくれる謎の噂をたまたまわたしも耳にしたのである。
大晦日、いつものように20:30に眠剤を飲まされたわたしは薬が効いて、年を越すまではテレビを見ていられず、眠くなり病室に戻った。
Vaundyが幾田りらちゃんとか。女の子数名と一緒に歌っている姿は見れたけれど、Vaundy単体の歌が、起きている間に聞けなかったので残念だった。藤井風の圧倒的パフォーマンスは見届けられたので良かった。
翌日の朝だが昼だか。「あけましておめでとうございます」という、印刷されたプリントと共に、なんと、なんちゃっておせち(内容は忘れたが、おそらく一年で一番豪華な病院食だ。ジジババばかりの病棟なので、献立がやけに渋く。焼き魚や煮魚が苦手(寿司は好き)なわたしは、毎日昼か夜に魚が出るタメかなり苦しんだ。肉が出てきても美味しくはない。あんなに不味いものを出していたら、食べる意欲なんか湧かないだろう。と思いつつ、気分安定薬のおかげか食欲だけはあり、もりもり病院食を食べていた。食べることしかやることがないのである)が出てきた。あの時の「あけましておめでとうございます」の紙を、当時の日記に、退院した後貼り付けたっけな。



